◆橋桁落下事故のわずかな差からくる明暗

 1991年3月14日午後の2時5分。広島市
安佐南区の建設工事現場で、橋桁の鉄骨が10m下の道路に落下。信号待ちをしていた11台の車が下敷きとなり、この時、作業員5名と乗用車に乗っていた9人の計15名が死亡するという痛ましい事故が起きました。





 橋桁の大きさは長さ63m、幅1.7m、厚さ2m、重さ60tという巨大なもの。事故の原因は人為的なミス。60トンもの橋桁の直撃を受けた乗用車の中には、50cmまで圧縮された車もあったそうです。9人の死者の全員がほぼ即死の状態でした。




 この事故の犠牲になった人々は、作業員を除くと、お互いに関係のない人々でした。それぞれの日常的な用事をはたすために、たまたまこの日、車での移動中に信号待ちの列に並び、そしてあまりにも不運な事故に巻き込まれることになりました。
 もし、信号が変わるのがわずかでも早かったら、あるいは遅かったら、被害者の顔ぶれはまったく違うものになっていたはずです。
 事実、この事故に巻き込まれながらも、ほんのわずかな偶然のおかげで、命拾いをした人もいます。



 娘を助手席に乗せて、二人で銀行に行く途中だった主婦は、車の屋根がV字型に凹む衝撃を受けましたが、幸いなことにちょうど運転席と助手席の間に屋根が食い込むかたちになり、二人共軽症で済んでいます。

 また、とあるタクシー運転手は、前のワゴン車が黄色の信号で止まりかけるところを、クラクションを鳴らし、前へ進ませて、自分が渡った途端に後ろの方で橋桁が落下して間一髪で助かっています。普段はクラクションなど鳴らすようなことは滅多することはないのに、何故かその時は、前へ進めとクラクションを鳴らしてしまったとのこと。
 もし、クラクションを鳴らしていなければ、前のワゴン車と共に橋桁落下の犠牲者になっていたところでした。



 助かったという人たちのインタビューを何人か取材すると、それらの方々は今回が初めてではなく、人生において何回か命拾いをしているという人たちがいたそうです。生まれながらの強運の持ち主たちとでもいうのでしょうか。偶然では片付けられない何か不思議な感じがします。


◆事故現場の土地にまつわる噂

 実はこの事件のあと、とある話が広がりました。それは、ここには以前墓地があって、その墓を移動させて道路を建設したとのこと。地元住民はこのことを知っていたそうです。
 また、墓石を動かした数がちょうど15で、事故の犠牲者の数と一致しているとも。
そのため地元ではお墓を動かしたタタリではないかという噂が立ちました。

 またこんな話も。
 あの日、事故現場の近くを遠足帰りの幼稚園児を乗せたバスが走っていました。
バスはこの事故現場を通るコースでこのまま走っていれば事故に巻き込まれてもおかしくないタイミングで走っていました。
 しかし園児の誰かが「おしっこをしたい」と言うので、仕方なく近くのパチンコ屋に寄ってそこでトイレを借りて用を済ませたとのこと。
 そして、出発して間もなく、この事故が起きました。この
わずかな時間差で園児たちのバスは事故に遭わずに済んだのです。



 この話を聞き、とあるTV局がその園児たちにインタビューを試みます。この時は、みんな小学生に進級していたのですが、その出来事は覚えていても、肝心の誰が「おしっこをしたい」と言い出したのか思い出せなかったとのことなのです。
 何人もの元園児や先生に聞いてもあやふやな返事だったのですが、最終的に二人の名前が上がりました。

 しかし、よく調べてみると、そのうちの一人は当日、風邪を引いて遠足を休んでおり、もう一人は遠足の前に転校しており、遠足には参加していなかったのです。
 みんなが思い出した二人の園児が両方ともその日にいなかった園児だったのです。

 一体、バスは誰の声で止まったのでしょうか・・・。
 
 悲惨な事故から20年以上が経ち、現場にひっそりと佇む慰霊碑だけが事故の名残を残してます。

事故現場近くの慰霊碑(Google Mapsより)



 参考文献『あの事件・事故に隠された恐怖の偶然の一致』二見書房














あの事件・事故に隠された恐怖の偶然の一致















数字にまつわる世にも不思議な事件簿 (二見文庫)