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タイタニック号と細野晴臣、宮沢賢治に関する因縁めいた話

 元、Y.M.Oの細野晴臣氏とタイタニック号と間には浅からぬ因縁があるという話を。

◆タイタニック号に乗船していて助かった唯一の日本人
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 1912年(明治45年)4月14日に大西洋上で起きたタイタニック号沈没事故。実は日本人で唯一乗船し、事故から生還した人物がいたのです。

Masabumi_Hosono.jpg その人物が、細野晴臣氏の祖父、細野正文氏(右人物)。
 正文氏は、当時、鉄道官僚で鉄道員からドイツへ留学、イギリス、ニューヨークを経由して日本へ帰る旅の途中でした。そこでタイタニック号の遭難事故に遭遇し、命からがら日本へと帰国します。
 しかしその後「他人を押しのけて救命ボートに乗った日本人がいた」という白人男性の証言により不名誉な批判を浴びることになります。
 後年、この話は様々な手記の調査などから「誤報」であったことが分かり、名誉は回復されるのですが、武士道の精神なのか、多少なりとも心に思うことがあったのか、正文氏は存命中に一切弁明しなかったとのこと。
 いずれにせよ、女子供優先で脱出させていたので、生き残った男性は非常に少なく、生還した彼らも自国内で「卑怯者」とバッシングを受けていたそうです。

 正文氏の死後、遺品の中からタイタニックの船上で走り書きしたらしいメモが発見されました。それによると、やっと彼の番がまわってきたときに、もう救命ボートはいっぱいで、一度は「もうダメだ」と諦めたらしいのですが、出発間際になって、救命ボートの上から「もう一人乗れる」という声がしたので正文氏はそれに従ってボートに乗り込んだとのこと。
 ボートの上では、人々が無秩序に殺到しないよう、拳銃を持った男たちが睨みをきかせていたそうです。
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約7割が助からなかった海難事故でした。

 正文氏が無事に日本に帰ってきたのは30歳の時。その後、晴臣氏のお父さんが生まれています。なので、もし、正文氏がそのままタイタニック号と一緒に沈んでいたら、晴臣氏はこの世に存在しなかったのです。

◆宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」と細野晴臣をつなぐタイタニック号 

 その後、細野晴臣氏は、宮沢賢治の小説『銀河鉄道の夜』がアニメ映画になった時に、この映画の音楽を偶然担当することになります。
 実は、この『銀河鉄道の夜』という小説もタイタニック号と関係があるのです。主人公の少年たち、ジョバンニとカンパネルラが、銀河鉄道に乗って旅をする途中で、タイタニック号の犠牲者たちと乗り合わせるシーンがあるのでした。
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 このタイタニック号の事件があった当時、旧制盛岡中学の生徒だった宮沢賢治は15歳でした。こ
の一ヶ月後、仙台・松島地方への修学旅行で宮沢賢治は蒸気船に乗り、初めて「海」を見ています。折しも天候が悪く、船も搖れ、波が甲板を洗ったそうです。
 
彼がこの事件のニュースにどう接したのかは分かりませんが、初めての海での体験とタイタニック号の痛ましい事件がシンクロして、心に深く刻まれたかもしれません。
 巨船沈没の海上で繰り広げられた極限の人間ドラマ。これらの経験やイメージが重なって『銀河鉄道の夜』の作品に織り込められたのではないでしょうか。

The_Sad_Parting_-_no_caption.jpg
女子供を優先して脱出することで、愛する人との別れなど
様々な悲劇的な人間模様が繰り広げられました。



 この作品は、1924年ごろ初稿が執筆され、晩年の1931年頃まで推敲がくりかえされ、生存中に世に出ることはありませんでした。1933年の賢治の死後、草稿の形で遺された作品だったのです。
 祖父が経験したタイタニック号の悲劇をモチーフにした小説の映画化に、またその孫が作曲家として関わりを持つ。これも不思議な運命の縁だと感じます。

 細野晴臣氏は2012年、事故犠牲者の共同墓地があるカナダのハリファックスを訪れており、その模様はNHKで放送されました。
 大西洋海洋博物館に展示されている乗船名簿にも祖父の正文氏の名を見つけることができます。


 細野晴臣氏の祖父が助かったのは、「まだ救命ボートに乗船ができる」という一言でした。本当に運が良かったと思います。
 前記事「広島橋桁落下事故にまつわる噂」という記事でもそうでしたが、
ほんのちょっとの差で助かる人、また亡くなってしまう人。人生の明暗を分ける「運」というものに翻弄されるのが私たち人間なのかもしれませんね。
 次回は、その運の良さで、日本を救った人物の話を。


Titanic_wreck_bow.jpg
今も海底に沈んでいるタイタニック号の船首部分。


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→「タイタニック号」沈没を予言した?事件に関わる不思議な小説


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コメント 2

tsumi

ボートの上では、人々が無秩序に殺到しないよう、拳銃を持った男たちが睨みをきかせていたというのは聞いたことがありませんでしたが、確かにそんな状況で一番いけないのはパニックになることですね。人を傷つける武器である拳銃が、時には人命救助で大事な役割を担う事もあるんだな~と感心してしまいました。結局悲しいお話なのは変わりないのですが…

私は宮沢賢治が好きで、いくつかの本を読んでいるのですが、このエピソードは知りませんでした!とても興味深いですね!
詩集が特に好きですが、彼の話は温かみもありながら、どこかに切ない影を感じます。確かにタイタニック号の悲劇は彼の心に刺さりやすい事柄だったのかもしれませんね。

素敵なお話をありがとうございました!

by tsumi (2017-04-29 00:24) 

ワンモア

★tsumi さま
 ご訪問とコメントありがとうございます。タイタニック号の悲劇は、多くの人々の心に印象を残しているから、今もこうして語り継がれているのでしょうね。
by ワンモア (2017-05-01 02:03) 

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