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一瞬にして一族が滅亡した悲劇の武将・内ヶ島氏理

◆白川郷を統治した内ヶ島氏理

 
戦国時代のなかで運がない武将は数あれど、一番運がない武将ランキングというのがあれば断トツの優勝候補にあげられる人物ともいわれているのが、内ケ島氏理(うちがしま うじまさ 生誕不明~1586)
 この人というか、この一族、なにせ、群雄割拠の謀略、武力で争う時代に唯一、人間ではなく災害によって滅びた一族なのです。今回はこの人物を辿りつつ「運」の不思議を紹介します。
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 ユネスコの世界遺産にも登録された白川郷。独特の景観をなす合掌造りの集落で知られていますが、この一帯を治めていたのが内ケ島一族でした。
 所領である白川郷は、山国である飛騨の中でも陸の孤島ともいうべき隔離された地域。歴代の内ヶ島氏当主はもっぱら白川郷の統治に専念し、外征という形で周辺地域の戦国史に顔を出すことはなかったのです。

Ogi_Shirakawa01n3200 のコピー.jpg白川郷


 しかし、内ヶ島氏理は生涯に一度だけ外征に出陣します。それは、織田信長の元家臣佐々成政が豊臣秀吉と対立したことで戦になり、その彼を助けに行くためのものでした。

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 しかし、外征中に家臣の川尻氏信が勝手に豊臣方の
金森長近に降参し、城を明け渡すという裏切りに遭うのです(多勢に無勢で降参という説も)。さらに佐々成政も戦わずして豊臣秀吉に早々と降参。
 こうなっては内ヶ島氏理も仕方がないので秀吉に降参し、
秀吉に侘びることになります。
 豊臣秀吉は、この地域の利用価値(金山や火薬の原料となる焔硝生産)を考慮し、白川郷の本領だけは安堵され、無事難局を切り抜けます。

 帰雲城に帰還できた一族は安堵します。やれやれ、まずはめでたいということで
、和平祝賀会を行おうということになりました。
 まあ、お疲れ会ですな。何はともあれ、良かった良かったということで、内ヶ島一族・家臣たち一同が城に集まります。



◆運命の一夜

 そして和平祝賀会の行われる前夜、天正13年11月19日(西暦1586年1月18日)の深夜。 突如大地震がこの一帯を襲います。震度7から8といわれているこの大地震で、帰雲城のある帰雲山が大崩落を起こします。更には土石流で川がせき止められ、ダムのようになり、その後決壊。大洪水も発生し、帰雲城に居た一族、家臣、付近の住民すべてがこれに巻き込まれて死亡してしまいます。
 
一族家臣と、城下町の300余件、推定500人余り、牛馬にいたるまでことごとくが一瞬にして埋没してしまったのです。

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 これが、天正大地震で、大坂でも数百の民家、京都では三十三間堂の仏像六百余体が倒れたと記録されているほど大きなものでした。山内一豊の一人娘や前田利家の弟もこの地震で亡くなっています。

 この内ケ島一族で唯一、生き残ったのは、他国へ行っていた4人だけ。
 この城に戻ってきた者たちも、あまりにも地形が変わり果て、城の位置さえも分からなかったとさえ言われています。

 また皮肉なことに
内ヶ島氏理の怒りを買って祝賀会に呼ばれなかった川尻氏信は生き残り、そのまま飛騨の太守となった金森長近の家臣となり101石を賜ったといいます。

 うーん、こんな悲劇の武将は他にいるのでしょうか。まさか一族全員が集まった夜に地震が起きるなんて・・・。あと数日でもずれていれば、全滅ということにもならず復興もできたのでしょうに。
そして裏切った人が生き延びて出世するとは・・・。

 この人をドラマにすると、クライマックスの危機を乗り越えてハッピーエンドを迎える直前に途端にいきなり登場人物を全員死亡させる最終回のようなものです。
事実は小説より奇なりです。
 この帰雲城などの、当時の面影をしのぶものは全くなく、城の正確な場所さえも判明していないとのこと。少なくても内ヶ島氏の治世のおかげで、現在の白川郷は残されたといえるとは思います。
 こんど
白川郷に訪れる際には、忽然と消え去ってしまったこの内ヶ島一族のことにも思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

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◆神木の祟り?

 さて、このような今まで聞いたこともないインパクトで、一瞬で滅亡した内ケ島氏一族。これほど運が悪いのは何かそれに当たるようなことをしたのではないかと思うのが人間心でしょう。このような伝説が残されています。

 かつて氏理の領内に神木があり、氏理は家臣に命じてこれを切らせた。斧で傷を入れたところ、血が滴るように樹液が流れ出た。これを期に氏理の妻や一族、領民が原因不明の病にかかってしまった。

Cap 462.jpg 家臣は恐れ氏理に事の経緯を告げた。しかし、氏理は信用せずに神木を切り倒し、枝を切って薪とした。

 しばらくして氏理の館は失火で焼失した。そのとき、氏理の子が火の横を通ろうとしたところ、誤って火に入ってしまい、家臣は咄嗟に助けようとしたが子は即死した。
 その後の一族を襲った災難は言うまでもなく、人々は神木の祟りと噂したという。


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