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江戸の怪異〜徳川家康と肉人

 江戸時代の儒学者、秦滄浪(はたそうろう)の著した『一宵話(いっしょうわ)』巻之二「異人」という随筆に不思議な話があります。徳川家康公が駿府城に在城していたときの話です。

Cap 442.jpg

 慶長14年、神祖の徳川家康公が駿府に在城のころの話である。

 ある日の朝、御庭に肉塊のようなもの立っていた。その姿は、小児のようではあるが、手はあるけれど指はなく、その指のない手で天を指して動かない。

  警戒の厳しい城内である。どうやって入ってきたのかも問いただすべきだが、
肉人ともいうべき、その異様な姿に見たものは一様に驚き、どうしていいかわからず、ただ右往左往していた。

 御庭が大騒ぎになったので、やむをえず公の耳に入れ、「いかが取りはからいましょうか」と伺うに、「人目につかないところに追っ払ってしまえ」とのことだった。

 そこで、肉人を城から遠い小山まで連れて行って捨てたという。




 捕まえようにもすばやく動いて捕まえられなく、捕獲をあきらめて城から山のほうへと追い出したとという話もありますが、いずれにしても不可解な事件ですね。

Cap 441.jpg

 この「肉人」ともいうべき存在は、「ぬっぺふほふ」に似たものとされています。
 ぬっぺふほふとは、顔とも身体とも区別がつかない一頭身の妖怪ですが、この妖怪が後に「のっぺらぼう」と呼ばれる存在になったという説もあるようです。

佐脇嵩之『百怪図巻』に出てくる「ぬつへつほう」→

 現代では、このように顔が肥大化することを、プロテウス症候群(頭蓋骨が変形、体が肥大化する奇病)とか、第一種神経線維腫症によるものではないかという診断も出ているようですが、それにしても、何故警備の厳しい駿河城に現れたのか。そして、それ以前もそれ以降も目撃例が出てこないのは何故か、それが不思議ですね。

 慶長14年(1609年)という年は、一昨年の駿河城の全焼事件があったばかりです。また、この時期は日本全土で大きな地震が頻繁におきていました(慶長大地震)。

 話では、片方の腕をあげ、手で天を指していたとのこと。当時の最高権力者の家康公に何かを告げたかったのでしょうか。なんとも不思議な事件だと思います。

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