本日11月2日は「死者の日」です。ドキッとするネーミング・・・。海外の記念日で別の名を万霊節(ばんれいせつ)といい、キリスト教では全ての死者の魂のために祈りを捧げる日となっています。
ローマ・カトリック教会では正式には「The Commemoration of All the Faithful Departed」(信仰を持って逝った人、全ての記念日)と呼ぶそうで。
死者のために祈るという発想自体は古代からあったそうですが、キリスト教の歴史の中で「死者の日」というものを取り入れたのはクリュニー修道院の院長オディロという人であると言われています。
かつてカトリックでは、「人間が死んだ後で、罪の清めが必要な霊魂は煉獄での清めを受けないと天国にいけないが、生きている人間の祈りとミサによってこの清めの期間が短くなる」という考え方がありました。
死者の日はこのような発想にもとづいて、煉獄の死者のために祈る日という性格があります。
「煉獄」という概念
でも、新約聖書には「煉獄」という言葉自体はありません。
なぜ、このような考え方が出てきたかというと、ゲルマン人への伝道の際に出てきたという説があります。
単純に言うならば、当時の布教の教えは「イエスを信じるものは天国へ。信じないものは地獄へ行く」という内容であり、イエス以前に生まれた人々は地獄に行かざるおえませんでした。
現在ではドイツ全体の守護聖人になっている「ボニファティウス」という伝道師もゲルマン人の族長に向かってそう言っています。先祖崇拝の信仰の強い当時のゲルマン人たちは、自分たちの先祖が地獄に落ちていると言われて激怒して、キリスト教を迫害します。
自分たちは新しい宗教で救われるが、先祖たちは地獄に行くという教えは受け入れられない教えでありました。
トールのオークの倒伏を見るボニファティウス
ゲルマンの神であるトールに、もしこの木が「聖なる」ものであるならば自らに雷を落とせとトールに呼びかけたといいます。
このボニファティウスはそういう理由もあってか、後に殉教しますし、この問題は各地で起こりローマ教皇庁にも届いていました。
当時の教皇グレゴリー1世は迷信的なものを省けばあとは構わないという解釈の仕方を指示していましたが、それだけに止まらず、もう一歩踏み込んで、「煉獄」という考え方が出てきました。
煉獄とは「イエス以前やキリスト教の布教に間に合わずに死んだ魂は「煉獄」という天国と地獄の中間のような所に一時的にいて、子孫がキリスト教に改宗して先祖の霊に祈れば、その先祖も煉獄から天国へ行けると」いう考え方です。
この教えが出てきてからは一気に改宗するようになったと言われています。(渡部昇一著「理想的日本人」参照)
地獄でもない、天国でもない煉獄という世界。 後に、この教えを利用し「贖宥状を買うことで、煉獄の霊魂の罪の償いが行える」という免罪符が出回ることになり、マルチン・ルターの宗教改革の運動のきっかけにもなります。 ですので、公式に「煉獄」という教義を確立した1431年以降のカトリック教会では「煉獄」を教義として取り入れましたが、それ以前に分かれた「正教会」やプロテスタントでは「煉獄」の教義を認めていません。しかし、「死者の日」自体はそれぞれの地方の習慣であるようです。
死者のために祈るという「死者の日」は、単なる教会暦の祝い日という枠を超えて人々の文化に根付いていたのでしょうね。人間としては当然の気持ちであると思います。
日本のお盆やお彼岸とはどう違うのでしょうか。心情的には同じものなのかもしれませんね。
死んだ人たちの魂はどこに居るのか、自分たちの世界とどう関わっているのか。世界でも古今東西共通した関心ごとであると思います。
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