さて、西洋の三大モンスターということで、「狼男」「ヴァンパイア」「フランケンシュタイン」と紹介してきましたが全体の総括を。
3つのモンスターに共通していることは、小説や映画で爆発的にヒットし、当時の世の中のブームになって世に広まったということです。
日本の三大幽霊の、四谷怪談、番町皿屋敷、牡丹灯篭なども講談や上演で有名になりました。それは、いずれも完全な創作という訳ではなく、過去の伝承や実在の事件、神話や昔話など、元となったものが存在しているのも共通事項なのです。
これから考えられることは、人々の心の中に素地があった所に、作家のイマジネーションが作用して、それが共感を呼びブームとなったといえそうです。
◆ヒット作の生み出し方
以前、デ◯◯ニー・ランドに努めていた企画担当の知り合いに聞いた話なのですが、「未来モノはヒットしない」という話を聞いたことがあります。
その時の疑問として「スター・ウォーズ」や「スター・トレック」などヒットしたものは沢山あるじゃないかと疑問を投げかけたのですが、こういう答えでした
「いや、よく見てみろ。スターウォーズのオープニングは『A long time ago in a galaxy far, far away....(遠い昔、はるか彼方の銀河系で…。)』だろ?
未来の話じゃなくてはるか昔の話なんだ。それに出てくる衣装や風景なども古くて懐かしい感じのものがするだろう。あれは、西洋人がノスタルジーを感じさせるものを用意しているんだ。
ディズニー映画にしてもピーターパンや、人魚姫など西洋人にとっては、子供の頃に、寝る前のベットで聞かされた話とか、懐かしさを感じるものがヒットしているんだ。
純粋な未来モノには、そういうものがないので、みんなのイマジネーションが沸かないからヒットしないんだ。」
なるほど!と思いました。日本のアニメにしても宮﨑駿なども、どこか懐かしいものを感じます。どうもその民族固有の潜在意識というのでしょうか、長く言い伝えられてきた伝承や神話、そういうものが潜在意識下に沈殿されていて、それを呼び起こすような作品がヒットするのかもしれません。
スターウォーズも欧米の文学、および比較神話学者のジョゼフ・キャンベルによる神話的雛形と汎神論的考えを元にした、神話学・人類学的作風となっているとのこと(Wikipedia)。
完全な個人の創作は、共感することができないのでヒット作が生み出しにくいともいえそうです。
そう考えると、ブームの作り方、ヒット作の生み出し方の秘訣というものも分かる気がしますね。ヒット作を作り出すには、民族の神話、宗教、歴史、文明史などの勉強もかなり必要だと思うに至った次第です。
◆西洋人の中に潜む、キリスト教以前の隠された文明
さて、もう一度、狼男やドラキュラなどの伝承を考えてみると、西洋人がキリスト教社会の歴史のなかで長い間抑圧されてきたものが見えてきそうです。
ギリシャ神話やゲルマン神話などの中にある、妖精、神々、生物たち、グレムリン、人魚、半魚人、ドラゴンなど。
それはキリスト教が異端、異教、悪魔、迷信として排除したり、オカルトと称した裏の世界へ追いやったものです。
世界は東西問わず、どこの地域や民族でも、自然界への畏敬がありました。非力な人類は自然の猛威に対し、自然界そのものを恐れ、畏敬の念を抱いていました。
しかし、あるときから、自然そのものを恐れるのではなく、自然や野生動物を擬人化したもの、妖怪、妖精化したものを恐れるようになってきました。
狼男は、生命力、賢さ、力強い野生の憧れの象徴ともゆうべき存在でしたし、ヴァンパイアも怖れられながらも、生命の永遠への憧れがベースにありそうです。
怖いながらも、どこかで憧れる存在、そんな混ざった感情があるのかもしれませんね。
キリスト教文明社会が拭い切れない抑圧されたものが時代の不安などの何かのきっかけで湧いてきて、ブームを呼ぶのかもしれません。
◆同じ道を歩んできた東西文明
さて、ひるがえって日本ではどうでしょうか。キリスト教文明は、他の教えや古い教えや慣習などを異端として排除する方向へ動いたことに対し、日本では共存する道を選びました。仏教と神道の融合などもそうです。
これは環境の違いともいえそうですね。砂漠という過酷な環境が生み出したユダヤの神ハヤウェ、自然とは人類が克服していくものであるとする考え方と、日本のように自然の動きが豊かな環境では、万物に神が宿り、共存していくものであるとする考え方の違いかもしれません。
仏教から伝来した「山川草木悉有仏性(万物には仏の命が宿っている)」という考え方は、日本の四季豊かな自然の中で八百万の神々と無数の妖怪たちを生み出したと言えそうです。
◆現代も妖怪たちは作り出されている?
このように、民族や集団の潜在意識下に眠る古い伝承や記憶などを刺激するような物が出てくると、その作品は、それらの想念を身にまとい、新たな姿として現代に蘇ってくるようです。現在はエンターテイメントとして楽しむこともありますが、現代の怪談がまだまだ生まれる背景には、現代社会への不安など漠然としたものが背景にありそうな気がします。
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