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姫路城にまつわる怖い話

 世界遺産と国宝で知られる兵庫県の姫路城が、5年に及ぶ大天守の修理を終えて2015年3月から再オープンし、連日大勢の観光客で賑わっています。
 入場料が千円に上がり、全国トップの入場料になりましたが、城壁の白さの美しさの人気もあってか、今のところ苦情は来ていないようです。
 優美なかたちからも別名「白鷺城」とも称されていますが、この姫路城には実は様々な怪事件、怪異が記録されているのです。今回は、世界遺産の姫路城に関する怖い話を。

Cap 107.jpg


 この現在のかたちの姫路城は、関ヶ原の戦いでこの地に52万石を賜った池田輝政(1565〜1613)が、1601年に着工し9年の歳月をかけて完成させました。
しかし池田輝政が入城して以来、怪異が頻繁に起こるようになります。

 
夜半の子の刻になると、太鼓の音が鳴り響き、悪鬼が目撃される
 
台所の大釜の上に切り取られた腕が発見される
 
ある家臣が白昼、傘を差して歩いているところ、突然空中に引き上がられた。
 
約3mもあろうかという毛むくじゃらの腕につかまれ、投げつけられて悶絶死した家臣がいた。
 
女中が何人も行方不明になった。
 
枕元に身の丈3mもの巨大な坊主が女中の枕元に立っていた。 

 等など。実際に行方不明になったり、家臣が亡くなったりしていますので、事件には相違ないのですが、狭い城内のことですので噂が尾ひれはひれをつけるのはよくあることかもしれません。

 しかし、城主の池田輝政自身も出てくると単なる噂ではすみません。以下の話も残されています。

Cap 108.jpg
池田輝政(ウィキペディア)


城内に夜な夜な現れる謎の美女

 天守の五層目に何者かが、夜な夜な灯火をともすようになった。誰が命じたものでもないので不気味なこと、このうえない。
 そこで輝政は、若侍に命じた。
「誰が灯火をともしているのか見届け、その火を提灯に点じてまいれ」
 若侍はさっそく提灯を持ち、天守へ登った。五層目には意外なことに、十七,八歳の美しい女が灯火をともしている。彼女は若侍に訝しげな目を向け、
「なぜ、ここにきたのですか」
とたずねた。若侍は輝政の命でやってきたことを話し、提灯に火を移してもらうと、天守を下りはじめた。しかし、三層目まできたところで、風もないのに提灯の火が消えてしまった。
 若侍はやむなく、また五層目に引き返し、美しい女に、
「途中で火が消えてしまった。なんとか、火が消えぬように点じてもらえまいか」
と頼んだ。女は蝋燭を取り替えて火を点じたあろ、「これをお持ちなさい」といって、櫛を渡してくれた。
 若侍は輝政に提灯の火を見せ、詳しく報告をした。輝政は話を聞いあと、その火を消そうとしたが、どうしても消えない。だが、若侍がやるとすぐ消えた。不思議なことがあるものだと思い、女から渡された櫛を調べてみたところ、大切に櫃(ひつ)の中に入れておいた一対の櫛の片方であることがわかった。
 あの美しい女が持ちだしたものに違いないが、一体どのような素性の女なのか、だれにも分からない。城中の人々は「もののけのたぐいではないか」と噂しあった。
 

池田輝政を脅す巨大な鬼 

しばらくして輝政が天守に登ってみた。そのとき座頭が近づき、
「琴の爪箱の蓋が開かず、困っております」
というので、輝政はそれを手にして、蓋を開けようとした。
だが、爪箱は輝政の手に張り付いて離れない。いらだって足で踏み割ろうとしたところ、今度は足に張り付いてしまった。
 輝政が困惑していると、座頭が突然、巨大な鬼神に変身して輝政を睨みつけ
「わしはこの城の城主だ。わしをおろそかにすると引き裂いて殺すぞ」
と脅した。輝政は怖れをなし、鬼神に詫びたところ、ようやく爪箱が離れた。やがて夜が明けたが、輝政は天守の五層目にいたはずなのに気が付くといつもの居間にいた。

 と、このような話が残されているのですが、池田輝政自身の死にも怪異がつきまといます。

ついに池田輝政自身が呪われることに

  慶長14年(1609年)の暮のこと。若い女が訪れ「輝政様に」といって書状を番衆に渡し、立ち去った。その書状には
 「何者かが輝政夫妻に取り憑き、呪い殺そうとしている。それから逃れるには、城内に八天堂を建立し、祈祷するしかない」と記してあった。
 ところが輝政がそれをほうっておいたところ、次々に異変が起こり、ついに輝政自身が病気で動けなくなった。これは一大事である。そこで、城内に八天堂を建立し、僧に祈祷を行わせたのである。それでも変事はやまない。
 輝政は小康を得たので外出したところ、急に気分が悪くなり、あわてて城へ戻った。しかし、その途中、どこからともなく、多数の鳥が現れ、輝政の輿めがけて突っ込んでくる。なんとも不気味なことだが、ようやく城に戻った輝政はそのまま病床に臥してしまった。
 間もなく回復の兆しが見えたものの、また不吉なことが起こる。御殿のまわりを多数の鳥が飛び交い、突き当たったりしたのだ。輝政はそのさなかに中気を病み、手当てのかいもなく、慶長18年(1613年)に息を引き取った。
「もののけが取り憑いたのではないか」当時、そうした噂が流れた。

(『江戸の怪』中江克己 祥伝社文庫より)

と、こういう話なのです。池田輝政は姫路城の完成後ほどなくして亡くなったいますので、こういう噂話が流れた可能性もありますが、元々この姫路城はこういう怪異があった場所のようです。姫路城の怪異は、1677年発刊の「諸国百物語」にも描かかれています。

 姫路城は室町幕府の重臣、赤松貞範が姫山に城を築いたのが始まりとされていますが(別説あり)、その約百年後、山名政則が拡張し、小寺則職を城代としたことから怪異が起こっていたといいます。

 特に城内の上山里丸と呼ばれる広場にある「お菊井戸」が、有名な「播州皿屋敷」に出てくる井戸だといわれています。

Cap 109.jpg
9代城主小寺則職の代に起きたとされる「お菊井戸」

 特に、豊臣秀吉が城の守護神とされる刑部明神の社を移したことにより、刑部明神が祟って怪事を引き起こしたという言い伝えもあるそうで。

 刑部明神の祭神は一説によると、伏見天皇の寵姫、小刑部の局が勅勘をこうむり、この地に流されて死去、その霊を祀ったとも言われています。
その呪いは今も続いているのでしょうか。


 昭和に入り、太平洋戦争において姫路も2度の空襲被害があったものの、大天守最上階に落ちた焼夷弾が不発弾となる幸運もあり奇跡的に焼失を免れ、現在に至るまで大天守をはじめ多くの城郭建築の姿を残していることを考えると、なにかの力が今もあるような感じもしますが。

 いずれにせよ、城の建築には大勢の重労働や事故死、そして城内での陰惨な事件、一族の悲劇的な運命など、怪異が起こるにはなんら不思議ではないような出来事が数多くある場所でもあるかと思います。
 姫路城、行く機会があれば、こういういわくつきの場所を訪れるのもいいかもしれません。

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