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洞爺丸遭難から生還した二人の話

 戦前から戦後のしばらくの間、9月26日は台風災害の特異日として有名でした。
 日本で千人を超える死者が出た6つの大型台風被害のうち、後半の3つがなんとこの日にあたっています。

【室戸台風】1934年9月20~21日:死者不明者3,036名    
枕崎台風1945/9/17~18日:死者不明者3,756名    
カスリーン台風1947/9/14~15日:死者不明者1,930名    
洞爺丸台風1954年9月25~26:死者不明者1,761名    
狩野川台風1958年9月26~28日:死者不明者1,269名    
伊勢湾台風1959年9月26~27日:死者不明者5,098名

 このうち、洞爺丸
(とうやまる)台風は、洞爺丸事故といって、青函航路で青函連絡船洞爺丸」が沈没、死者・行方不明者あわせて1,155人に及ぶ、日本海難史上最大の惨事となりました。

Cap 381.jpg
洞爺丸(Wikipedia)


 台風十五号による天候の悪化により
出航を見合わせていた洞爺丸でしたが、天候の回復を待たずに乗員乗客1,337名を乗せ、4時間遅れで出航しす。そして、その夜の10時26分、洞爺丸はSOSを発信、その後消息を絶ってしまうのです。
 すでに闇に閉ざされた海は大荒れに荒れ、乗客の安否が気遣われながらも捜索が思うように進みません。早朝、洞爺丸は函館港内で転覆、無残にも船底を上に向けた完全に転覆した状態で発見されました。
 猛威を振るった台風は、洞爺丸のみならず、
岩内町では3,300戸を焼失させる大火を引き起こすなど、北海道を中心に多数の犠牲者を出して過ぎ去っていきました。


 この遭難事故で、乗船する可能性があった永井勝郎さんの家族や同僚は不安になりました。
 永井さんはその日、ちょうど仕事で出張していた函館から東京に戻る予定で、洞爺丸に乗船している可能性があったからです。
 「どうか、乗船していませんように。無事でありますように」
 しかし、希望にすがる家族に追い打ちをかけるように、遭難者の一人として「永井勝郎」さんの名前が発表されました。
 
Toya-Maru_Disaster.JPG遺体はまだ確認されていませんが、乗客名簿には確かに永井さんの名前が載っていたのです。
 その時には続々と犠牲者の遺体が収容され、乗客全員の命は絶望と報じられていました。
 ところが、涙に暮れる家族のもとに、本人は元気な姿で帰り着いたのです。
 すでに家族は死んだものと思っていたので駆けつけた見舞いの人々と共に大喜びになりました。
 彼は確かにその日、洞爺丸に乗り込み乗船手続きを済ませていたのです。
 しかし、いつまでたっても出航しない船に苛立ち、こっそりと出航間際に下船していたのでした。
 そしてこの短気な気性によるとっさの決断こそが、未曾有の大惨事から彼の命を救ったのです。
 
 彼は青森からの特急列車の切符を用意していたのに、出航の遅れでそれも間に合わなくなり、苛立っていました。
 何度いつ出航するのか、乗務員に聞いても「もうしばらくおまちくだい」の決まり文句のような言葉に、我慢の限界にきていたのです。青森行きの電車はもうないし、それなら無理して帰らず、函館の知人宅に泊めてもらおうと考えたのです。
 「これ以上、時間がかかるようなら下船したい」
 「タラップは外してしまったので、降りられません」とまったく相手にしてくれません。
 しかし、ふと見ると乗務員用の出入りしている場所があったのです。
「あそこから出ればいいや」
 永井さんは、黙ってこっそり抜けだしてしまいました。そのため、乗船名簿には彼の名前が残ったままだったのです。
 洞爺丸は、永井さんが下船したすぐ後に出航しました。あともう少し我慢していたら、他の乗客たちと運命を共にしていたはずでした。まさに間一髪助かったのです。

 出航間際に降りたもう一人の男性

 実は永井さん以外にも一度乗船したものの、いつまでも出航しない船に業を煮やして降りてしまった人がいます。

 当時北海道大学の学生だった川村久雄さんは、青森の実家に帰るために洞爺丸に乗船しました。しかし、予定を一時間以上すぎても一向に出航する気配がないため、下船を決意。

 船員がタラップを下ろしてくれなかったので、船の事務長に直談判。30分ほどたってやっと下船許可が下りたのです。さきほどの永井さんが下りたのは、これより更に2時間くらい後のことになります。


 永井さんがつくづく運命の皮肉を思うのは、下船するときに次のような情景を見たからだそうです。
 永井さんはこう語っています。
「私がこっそり下船したとき、遅れた汽車でやってきた人たちなのでしょう。暗くて顔ははっきり見えませんでしたが『船がまだいるじゃないか』『よかった、なんとか間に合った』などと口々にいいながら私と入れ違いに船員出入り口から乗り込んでいった人たちがいるのです」

 沈没する運命の船に、不運にも間に合ってしまった人たち・・・。
 もし、ほんのわずか出航するのが早かったら、永井さんの方が船と運命を共にし、その人たちの方が助かって、船に遅れたことを神に感謝していたかもしれません。
 偶然のいたずらにより、九死に一生を得た永井さんの命と、まさに引き替えになったかのように命を失ったひとたち。運命を深く考えさせられる出来事であると思います。

 「あの事件に隠された恐怖の偶然の一致 TBS編集」(二見書房)より

Cap 380.jpg
台風海難者慰霊碑(洞爺丸慰霊碑)GoogleMaps

 

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