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牡牛(鬼)の文化と龍の文化

 鬼について第三回目の記事になります。高橋克彦著の『黄昏綺譚』で管理人が一番面白いと感じた話をご紹介。というかこの話だけでこの本を購入する気になりました。

 高橋克彦氏の仮説〜牡牛の文化圏と龍の文化圏

 高橋克彦氏の仮説によると「5千年ほど前に宇宙人が地球に飛来して人類に智慧を授け、文明の発展に一役かってくれたのではないか」ということです。
 確かにメソポタミア文明、エジプト文明、インダス文明などが、ほぼ同時期に一気に高度な文明を持ち得たことは不思議ですよね。
 さらに考古学や神話の成果を検討していくうちに宇宙人の介入という仮説に加え、その宇宙人にも種類があったのではと仮説するに至ります。

 それが、牡牛型龍型宇宙人なのです。神話の神々も大別すると、この牡牛と龍に二分されることが多いそうです。アジア圏では圧倒的に「龍」の信仰に彩られ、西洋世界ではほとんどが「牡牛」の支配下にあるとのこと。

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 とはいえ、西洋で牡牛?と考えてしまいますが、聖書の世界でも「牡牛」は至るところに登場します。聖書でもモーセがいない間に黄金の牡牛の像を祀って旧約聖書の神に激怒されたとか、シナイ山から戻ってきたモーセに神の象徴である額の角が生えていたなど。

 →ミケランジェロのモーセ像もひたいから角が

 バイキングは牡牛がシンボルですし、ミノタウルスの話も牡牛が出てきますね。また牡牛の仇敵はドラゴンで竜退治の話は西洋では至るところに登場します。

 一方、アジアは龍の世界です。釈迦は蛇(龍の変形)を信仰とするナーガ一族の出身であるし、中国は龍の化身によって国が創られたという伝説もあります。今もブータンの人々は自分たちを龍の子孫であると主張しています。日本でも龍信仰は各地に根強い人気があります。

 著者は各種の文献を執拗に漁りひとつの仮説を立てます。それは、龍と牡牛はもともと同族ではなかったのかという仮説です。龍にも牡牛にも角が生えています。
 聖書にも悪魔も元々は神の仲間であったとあります。蛇(龍?)が人間に知恵を授けたため創造主が怒って蛇に罰を下したともあります。

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  つまり、宇宙人同士の仲間割れが龍と牡牛の対立として伝説で伝えられているのではないかということです。 彼らは地球の人類を傘下に加えつつ、地球を二分して闘争を始めたのではないか。こう考えて世界の神話を読むと面白い発見が出てくるというのです。

 龍と牡牛の存在をそれぞれ悪玉と見るか善玉と見るかでどちらの支配権下にあったかが分かるかもしれません。

 日本の神話も八岐の大蛇(龍)の支配していた国をスサノオが退治するところから新しい国作りがなされていきますが、このスサノオの別名は「牛頭天王」すなわち牛の頭=牡牛の存在を物語っており聖書と同一の展開をなしています。

 そうすると、スサノオを含む天孫族は牡牛の一族であると考えられるし、スサノオと対立した一族は龍の一族ではないかという推論が成り立つわけです。
 大国主命の息子のタケミナカタナノミコトは天孫族の攻撃にあって惨敗し、逃れて諏訪湖の主である龍になったと言われていますし、そしてなぜか大国主命を奉る神社の多い東北では龍神信仰が盛んであるとのこと。
 日本では、東洋でも別で、元々の龍の支配圏が天孫族という牡牛の支配圏に移り代わったということなのでしょうか。

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『日本略史 素戔嗚尊』に描かれたヤマタノオロチ(月岡芳年・画)Wikipedia


 西洋では龍は蛇やドラゴンといった悪いもの、退治される存在として認識され、東洋では龍は神や王族の象徴として信仰されています。
 そして牡牛のイメージを色濃くもつ鬼は悪い存在としても認識されているとかんがえると、龍と牡牛の宇宙人たちの支配圏が分かるかもしれません。
 牡牛を善玉と見るか悪玉と見るか、龍を悪玉と見るか善玉とみるか?個人でも牛派と龍派に別れるかもしれませんね。

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大天使ミカエルに退治されるドラゴン

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釈迦八相記今様写絵(二代目歌川国貞(歌川国政)、19世紀)


 高橋克彦著の『竜の柩』(祥伝社刊)に詳しく書かれているそうですので興味のある方はご一読を。


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