今日付けの配信で気になる記事が。
無人の別荘から深夜に119番?
17日午前0時すぎ、青森市駒込深沢にある別荘の固定電話から消防へ通報があった。しかし、通信状態が悪く、電話の向こう側から声は聞こえなかった。
一刻一秒を争う事態かもしれない―。青森消防本部は発信場所を特定し、消防署員ら10人が、40分ほどかけて現場に到着。しかし、辺りは真っ暗で、家の中に人影はなく、傷病者も見当たらなかった。
現場は八甲田雪中行軍遭難事件があった地区で、木々がうっそうと生い茂る。同本部通信司令課の担当者は「何らかの原因で通報されたと思われるが、よく分からない」と困惑。やむを得ず、誤報として処理することになるとしている。東奥日報社
よく、猫の侵入でセコムの警報装置に異常が出ることは聞きますが、別荘の固定電話からですから何なのでしょうか・・・。また携帯電話なら通信状態が悪いのは分かりますが固定電話で?
この現場は、例の 八甲田雪中行軍遭難事件があった場所です。
八甲田雪中行軍遭難事件とは、1902年(明治35年)1月に日本陸軍の歩兵連隊が雪中行軍の訓練中に八甲田山山中で遭難した事件で、210名中199名が死亡、生存率がわずか5.2%という痛ましい事件でした。
この事件の詳細はWikipediaに出ていますが、捜索と遺体の収容が難航しました。
発見された遺体は、1体に数人程度をかけて掘り出して哨戒所に運搬した。余りに凍りついていたため、粗略に扱うと遺体が関節の部分から粉々に砕ける
からであった。哨戒所にて衣服を剥いだ後、鉄板に載せられ直火にて遺体を解凍し、新しい軍服を着せてから棺に収容して本部まで運搬した。水中に没した遺体は引揚げ作業が難航し、そのまま流されてしまうものが多数あった。そのため、幸畑村を流れる駒込川に流出防止の柵を構築し、そこに引っ掛かった遺体から順次収容して行った。しかし、雪解けで水量が増加したこともあり、柵を越え海まで流された遺体もあった。
発見された遺体は、最終的に5連隊駐屯所に運ばれ、そこで遺族と面会、確認の後、そこで荼毘に付されるか故郷へ帰っていった。腐敗がひどく身元がなかなか判明しない遺体もあった。
最後の遺体収容は5月28日であった。(Wikipedia)
|
|
|
この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。
コメント 0