Mケイディン著の『空の上の超常現象』から。これも戦争中の話です。
パラシュート降下した死体?
この話はどう考えてもありえない出来事なのである。しかし、それをその現場に居合わせた数百人にも及ぶアメリカ陸軍、陸軍航空関係者が目撃しており、再三にわたる事実関係の確認が行われているのである。
私が発見したその資料は、本当に目を見張るような驚くべき内容であった。その一部始終が、かたい公文書用語で細かく記されていたのである。
その日、北アフリカ戦線で起きた出来事はあまりに不可解、あり得ないことなので、前線の指揮官は、それを目撃した全将校・全下士官に詳細な目撃証言を作成させ、認識番号、官姓名、サイン付きで提出させているのである。
それは、それはいつもと変わりのないある日の出来事であった。いつもと変わりなく地中海、その中に散在する島々、そして北アフリカ沿岸に展開する枢軸軍対連合国軍の壮絶な戦いが繰り返されていた。
この日の作には、双発・双胴の重戦闘機P-38ライトニングによる長距離強行偵察が含まれていた。ライトニングの編隊は北アフリカの海岸線沿いから地中海
へ出て、ドイツ空軍の基地の偵察を強行した。この任務は楽でなかった。ドイツ側も本気でライトニングに応戦して壮烈な空中戦が繰り返された。
やっと戦いが終わり、アメリカ側が編隊を組み直した時、一機のライトニングが姿を消していた。パイロットたちは無線で連絡を取り合い、仲間が海上に不時着
したのではないか、パラシュートで脱出したのではないかと確認し合った。僚機によって不時着水か機外脱出のどちらかが目撃されていれば、救難隊の飛行艇か
魚雷艇をすぐに手配する必要がある。
しかし、手がかりはなかった。燃料が残り少なくなるまで彼らは捜索をしていたが、後ろ髪を引かれる思いで帰路につかざる負えなかった。
一機、また一機と彼らは着陸し、地上滑走で掩体壕の方へ向かい所定の駐機位置に停止した。エンジンが切られ、パイロットたちは機から降りてきた。彼らは記
録を照合し情報将校に報告した。帰ってこないパイロットは”戦闘中に消息を絶った"
と記録された。まだ”戦死”ではない。編隊が帰投した後も単機で帰り着いたパイロットも一人や二人でないからだ。
しかし、時間は過ぎていく。そしてどう楽観的に考え、どう燃料を節約しながら飛んでもガソリンはタンクに一滴も残るはずのない時間がきた。
仮に片肺飛行にして撃落しないギリギリの回転数までエンジンを絞って飛んでもこれ以上は無理だった。
それでも彼らは、それからニ時間待つことにした。見込みは無いことは分かっていた・・・。彼らは北アフリカに展開している別の基地にも問い合わせをしたが返事はノーである。
P-38ライトニング一機とパイロット一名は戦闘によって失われた。戦友たちは、彼がもう二度と帰らないのだと自分に言い聞かせた。その夜の食卓には空席がひとつ出来、兵舎の寝床にはひとつ空きが出来るだけだ。よくある出来事だった。それが戦争というものなのだ。
ところが、その時だった。空襲警報のサイレンが鳴り渡った。すぐに対空砲座に射手がとりつき、掩体壕の中の戦闘機はエンジンが起動しパイロットたちはコク
ピットに飛び込んで緊急発進の命令に待機した。レーダーがこの飛行場めがけて敵味方不明の一機が接近してくるのを補足したのだ。低空で高速で接近してくる
その機体は戦闘機だと思われた。
そして彼らはその侵入機の正体を知った。P-38ライトニングが一機、高速でゆっくりと高度を下げながら飛行場に向かって来るのだ。
爆音が伝わってきた。紛れもなく二基のアリソン直列型エンジンの音、P-38のそれである。防空指揮所はP-38が通常使っている周波数で呼びかけたが応
答がない。地上はいつでも応戦できる態勢である。P-38のパイロットは敵味方識別システム(IFF)を起動していない。ということは撃墜されても文句は
言えない。大きく弧を描いて発光信号が上がった。パイロットに対して意図を明確にせよという要求である。主翼を振るとか、車輪を下ろすとか、着陸灯を点滅
させるとか・・・・。しかしそんな気配はない。
その頃には数百人の隊員がテントや兵舎から飛び出してきて空を見上げていた。どうにも奇妙なアプローチである。水平に近い鈍い進入角で進入してくるのだ。
射撃指揮官は射手に対して射撃開始の姿勢のまま待機を命じた。
そのP-38は減速する気配を見せない。着陸する意思はないらしい。どう考えてもこれは只事ではなかった。そしてそのP-38はそのまま滑走路へ一気に高速で侵入してきた。
その時であった。P-38の機体が突然よろめいたように見えた。まるで垂直に揺れる目に見えない空気の壁に衝突したかのように見えた。当然、機体は壁に衝
突したかのような事態になった。見守る人々の前で機体は空中分解をし、あっという間にバラバラの残骸となったのである。
爆発の閃光もなければ炎も見えなかった。爆発は起きなかった。ただ、間違いなく高速で飛んでいたその機体が一瞬後にはひどくねじれた金属の塊となって地上めがけて四散し始めたのである。エンジンの音は消え、金属片が風を切る音と見守る地上の人々の悲鳴にとって代わった。
その時、何人かが指さした。「あれを、見ろ!!」そして皆が一斉に叫んだ。機体から空中に放り出された人間が落ちていく。本能的に皆が叫んだ。「パラシュートだ!引け!クソッ!リップコードを引くんだ!」
そして、パラシュートが開いた。最初は補助傘が、それに引きずられて主傘が引き出された。しかしパイロットはぐったりとしたままである。
潮がひくように歓声が薄れていった。そして地上に四散したP-38の残骸の近くにパラシュートは落下した。救急車両はすぐに現場に急行しつつあった。要員を満載したトラックとジープがそれに続いた。他の者は地上を走った。
駆けつけた者は皆、そのパイロットのねじれた肉体を呆然と見つめるだけだった。間もなくトラックは滑走路に散乱した残骸を片づけ始めた。軍医たちは屍体の傍に身を屈めた。そして駆けつけた隊員たちは遠巻きに見守りながら自分の目が信じられぬ思いで小声で言葉を交わした。
後から駆けつけた連中は、先行した彼らが尋常じゃないことに気がついた。彼らは到底信じられぬという思いと訳の判らない恐怖に顔を引きつらせ、ただ首を振りながら屍体を見つめていたのである。
隊員たちは夜を徹してこの奇怪な出来事を語り合った。何人もの男たちは意識を失うまで酒を飲み続けたがそれを非難する者もいなかった。軍医たちは自分たち
の作成した検死報告書をぼんやり見詰めるだけだった。彼らが遭遇したこの事態を、神の名においてどう証明しサインすればいいのか?これは、この事故の報告
書作成を命じられた関係者にとっても同じことだった。それは不可能だった。到底あり得ないことなのである。
夜明けの曙光はさらに深刻だった。昨夜彼らが目撃したものは、白日のもとでもちゃんと存在していたのである。数百人の男たちがその眼で目撃していながらも、それは起き得ない出来事なのだ。
そのP-38の燃料タンク、どう甘く楽観的に考えても数時間前に空になっていると断定されたそのタンクは確かに空になっていた。しかし、それにも関わらず、そのP-38は2基のエンジンが回転している状態で滑走路に進入してきた。
そして、パラシュートで脱出したパイロット、戦友が待ち続けていた基地へ帰投した彼の額には銃弾が貫通していたのである。額から脳を貫通して頭蓋骨の後部から抜けていたのである。彼は数時間前に死亡していた・・・・。
あり得ないことである。しかし事実はそうなのだ。
賢明にも彼らはファイルを閉じた。そして「秘密」の判を押して全員が忘れてしまう事こそ最良だと判断したのである。
いかがでしょうか。戦争ではこのような不可解な出来事が多いと聞きます。極限状態の男たちの精神状態がそれを見せるのかもしれません。しかし、数百人の目の前で起きた不可解な出来事はどう判断すればよいのか迷いますね。
仲間の所に帰りたかったのかもしれません。しかし撃墜された飛行機ごと帰ってくる・・・。あり得るのでしょうか。
P-38ライトニングですが、その高速性を活かし、生産された機のうち100機以上が武装をカメラ4台に置き換えた写真撮影偵察機に改造され、F-4と名
づけられました。専用のF-5Eという機体もあります。書籍ではP-38と記載してありますが、任務から言うとF-4/F-5Bという名称だと思います。
編隊を組んでいたそうですが、通常の任務は単独飛行が多いので、特別任務なのかな。いづれにせよ不思議な話です。
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